セクシー田中さん署名の報告(旧・西山聡(agemaki66)の気まぐれブログ)

休んでいたブログを「セクシー田中さん署名」https://www.change.org/SexyTANAKAsan の報告用に活用します

フィギュアスケートへの違和感

(うだうだ書きましたが、フィギュアスケート、競技として演技として「超むずかしく」、生演奏にあわせるなんて、とても無理だ、と、後日、知人から指摘を受けました。反省ちう)

 滑ったことは無い。ライブでも観ていない。だから偉そうなことは言えない。でも何だかいつも違和感がある。僕は今宵、僕の違和感の正体にようやく気づいた。生演奏でなく、録音の音楽を使うので、僕には違和感があるのだと思う。

 たとえば東京ドームのコンサートで、アイドル、あるいはアーティストが、カラオケで口パクをしたら、少なくとも(嫌いなメディアではあるけれど)2chでは話題になるだろう。でも、フィギュアスケートで「録音」を使うことに、誰も異議を唱えない。フィギュアスケート、どうして録音なのかな? 

 選手の演技に音楽の方が<あわせ>ないのかな? 生演奏でいいじゃない? お金がかかる? ボランティアじゃダメ、でせうか? そもそも昔、録音がなかった頃、フィギュアスケートって生演奏じゃなかったの???

 フィギュアスケートは、現代では基本、録音の音楽を使うので、選手は<たかが>録音に従属してしまっている。そこには、舞台における俳優やバレリーナ、生演奏における歌手のような、主体性や即興性は無い。

 だから思い切って、フィギュアスケートは、録音はやめて、生演奏にしたらいけないのかな? 3回転とべそうに無かったら、3回転を飛べるように、演奏の方をゆっくりしたらいい。それじゃいけないのかな? 「それじゃスポーツじゃない」と言われるかもしれないけど、ほかのスポーツなら、もっと融通が利きそうな気がします。

 と、浅田真央選手が、ショパン即興曲・第二番の「録音」を使って「演技した」ので、ようやく気づくことができた。

 ショパンは、私が誤解していなければ、ものすごく大胆なことを言っていて、「楽譜で弾けないところがあれば、省略していい」「その場の雰囲気にあわせて、曲は、繰り返して間延びさせたり、あるいは途中でやめてもいい」つまり「楽譜どおりに弾かなくていい」と言っている(だから彼は、名ピアニストなのだ)。

 だから、ショパンの楽譜って、本当は録音で聴いてはいけない。あくまでもライブで楽しむもの、なのだ。ライブなら、ピアニストは本来、「楽譜どおりに弾かなくていい」、臨機応変に、「楽譜で弾けないところがあれば、省略していい」「その場の雰囲気にあわせて、曲は、繰り返して間延びさせたり、あるいは途中でやめてもいい」

 フィギュアスケートは、録音を使うことをやめて、思い切ってピアニストのライブ演奏を基本にしたらいい。そうすれば、音楽の方が選手に合わせることができる。現代のフィギュアスケートは(音楽であるかどうかも疑わしい ※)「録音」に選手が<あわせる>ので、観ていていつも、誰の「演技」でも痛々しい。「録音」に選手が「合わせる」限り、そこには主体性を奪われた<人間の疎外>がある。

※ 録音は聴く者には廉価で便利だけれど。

 と、浅田真央選手が、ショパン即興曲・第二番の「録音」を使って「演技した」ので、ようやく気づくことができた。