セクシー田中さん署名の報告(旧・西山聡(agemaki66)の気まぐれブログ)

休んでいたブログを「セクシー田中さん署名」https://www.change.org/SexyTANAKAsan の報告用に活用します

日本人の好きなこと:空き地づくりと借金

 たしか1980年頃、フランスの閣僚が日本人のことを「兎小屋に住む働きバチ」と揶揄して、物議をかもしたことがあります。しかし‥‥当時、中学生だった僕は、「たしかに日本人は、うちの家族を見ても、兎小屋に住む働きバチだ」と思っていました (しかし、後日、フランスでも労働時間短縮などが始まったのは、20世紀の後半であることを知って「思い上がるな! フランス人! あんた達だって、じいさんばあさん(あるいは父さん母さん)の代には、「兎小屋に住む働きバチ」だっただろう! 」と怒ることになります)。
 僕は新宿区下落合1丁目に住んでいて、今でこそ「高田馬場に住んでる! 都心で羨ましい!」ということになるのですが、正直いって戸惑います。住んでいるのは1970年に建った集合住宅で3DK、一人で住むには広いのですが「兎小屋」であることに変わりはありません。何より1970年代、高田馬場は副都心ではあっても「都心」ではありませんでした。1970年代、新宿区と豊島区の神田川沿いの工場群は、あいついで新目白通り・関越道に沿って、埼玉県内などに移転してゆきます。(中には、東京湾岸に移転した工場もあるらしい) その跡地に集合住宅が次々と建ち、我が家はその一つに居を構えたのです。 ちなみに現在、アリミノ化粧品のビルになっているところは「工場」でしたし、エステー化学の本社のビルも当時は倉庫でした。今でも、下落合や高田馬場は、いくつかの印刷工場や食品倉庫などが建っている街です。
 さて、我が家からは新宿新都心が見えますが、1970年代の前半は、京王プラザホテル(本館のみ)、新宿三井ビル、新宿住友ビルしか建っていなくて、子どもは「こんなところに、こんなに広い空き地があって、どうするんだろう?」と思いました。((ちなみに、僕は小学一年生)1973年に第一次オイルショックがおきて、1970年代、日本は深刻な不況であったような気がします)。その後、新宿「新」都心は、高層ビル群で「何とか埋まる」のですが、僕が子ども(→少年→青年)だったせいか、「新宿「副」都心から空き地がなくなる」には、ずいぶん月日がかかりました。
 でも日本人は懲りずに、どんどんその後も「空き地づくり」に余念がありません。「空き地はいずれ埋まるだろう」というノリ(?)で、幕張新都心とか、みなとみらい とか、臨海副都心 などなどなどなどなどなどなどなど (しつこいな、君)に、つくりまくっています。 (諫早湾でも「空き地」をつくっていますが、佐賀地方裁判所がストップをかけています http://www.enviroasia.info/japanese/index_j.php3?status=n_view&w_num=1781&c_cd=J ) 
 しかも「空き地づくり」に、国と地方公共団体都道府県・市町村)が「借金しまくって」います。ジョージ・オーウェルの『動物農場』(アニマル・ファーム)は、直接にはスターリン時代のソ連を風刺していますが、人間の馬鹿ッぷりは、1970年代以後の日本にも相通じるような気がします。『動物農場』に、今の日本をなぞらえるなら、さしずめコイズミら歴代首相が「ナポレオン」で、マスコミが「スクィーラー」なのでしょう。
 で、我が家は、1970年以後、かなり長いこと「兎小屋に住む働きバチ」で、とりわけ、2001年に妹が第二子を産みに帰った時などは、父・母・妹・僕・甥の五人がひしめいて暮らすことになり(しかも時々、妹の夫が泊まりに来た)それはそれは大変な思いをしたのですが、2003年に父と母が転居して、突如として僕の一人暮らしとなって現在に至ります。
 それはさておき、新宿区の高田馬場三・四丁目と下落合一丁目は、かつての工場跡などに建っている集合住宅や専門学校以外は、かなりかなりかなり過密集市街地化していて「大地震が来たら、どうなってしまうんだろう」という趣で(一眼レフで写真を撮ったりする分には「面白い!」まちなみなのですが)、住民としては「そこを何とかして欲しい」のですが、過密集市街地の問題はまったく手つかずのまま、この地域には光ファイバー網(KDDIと東京ケーブルビジョン)が整備されることになりました。今、新宿区の高田馬場三・四丁目と下落合一丁目は「光ファイバーぶーむ」なのです (光ファイバーが、電柱に沿って、あちこちで空中を舞っているので笑えます)。
 で、1970年に建った某集合住宅は、テレビのアンテナが古くなって困っていたので(映りの悪いチャンネルがある)、これを機にケーブルテレビに切り替えることになり、今日はその端末工事でした。工事のために壁沿いの家具などを片づけると、ながらく行方不明になっていた守田志郎の名著『むらの生活誌』、アンスネス(ピアノ)・ラトル(指揮)・バーミンガム市放送交響楽団の『ブラームス・ピアノ協奏曲 第一番』のCD、(ナイジェル・)ケネディ(ヴァイオリン)、ロジャー・ノリントン(指揮)、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団の『ブラームス・ヴァイオリン協奏曲』のVHSなどの「お宝」が「発掘」されました。

 しかし、膨大なつくった空き地(など)のために借金を背負わされている日本人って、かなり空しくないですか? 空き地づくり(など)しか出来ない、官僚や政治家を選んだのは、日本人の責任なのですが‥‥。(僕は選ばなかったし、選ばないのだけれど、みんなが選んじゃって、やめさせる術がないのです)