セクシー田中さん署名の報告(旧・西山聡(agemaki66)の気まぐれブログ)

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黛敏郎の『題名のない音楽会』

 一人の音楽愛聴者として、ロジャー・ノリントン黛敏郎坂本龍一のお三方には、感謝の念に尽きない。(僕は大人になってから、ジャーナリズム論や原子力を学んだので、「観るスポーツ」や日本テレビ正力松太郎さんには、いろいろ言いたいことがあるけどサ)

 ロジャー・ノリントンが、NHK交響楽団に客演した2006年と2011年は<聴き損ねた>のだが、4月26日はベートーヴェン の「コリオラン」序曲、ピアノ協奏曲第4番(ピアノ独奏:河村尚子)、そして、ブラームス交響曲第2番をライブで聴くことができた。

 ノリントンのライブに感動したついで(?)に、僕はどうしてノリントンが好きなのか、ロッド・スチュアートが好きなのか、現代音楽やジャズ、民族音楽も楽しいのか、「ビートルズが偉大」と思うのか、よーく考えてみた。もちろん、「音楽好き」ということはあるのだが、黛敏郎と(私の)父の影響が大きい。

 私の父は昭和7(1932)年の生まれで、<梅ちゃん先生>より「ちと」若い。とある国立大で電子工学を学んだのだが、時代が時代なので55歳くらいまで造船会社で艤装(ぎそう)の仕事をやっていた。(その後、70歳くらいまで電気工事士の仕事に転じて、各地の公共施設の照明や音響設備の、設置やメンテナンスの仕事をして、今は引退して存命である)

 で、私が中高生の頃、父は自衛艦の仕事をしていたのだが、小学生の頃はタンカーの艤装(ぎそう)をやっていた。その関係で私は中高生の頃、当時は「ガラガラ」だった『題名のない音楽会』の公開収録に、父と足しげく通ったのだった。あの頃の『題名のない音楽会』は、今の坂本龍一のETVより偉大なのかもしれない。

 当時の『題名のない音楽会』の公開収録では、日本国憲法をめぐって井上ひさし黛敏郎が対立したり(すごく面白かった「ライヴ」なのだが「お蔵入り」、放送されなかった‥‥)、黛がジョン・レノンを追悼したり(かつマッカートニーの偉大さを讃えた)、黛が「ジャズを楽しい」と語ったり(黛の演奏も良かった)、小泉文夫民族音楽の魅力を語ったり(演奏も良かった)、黛が声明(しょうみょう)の話をしたり、ジョン・ケージの話もあったし、ムジカ・アンティクワ・ケルンが登場したりした。

 だから改めて深く感謝するけれど、私がロジャー・ノリントンを愛聴「できる」のは、わが父と黛敏郎のお陰なのだ。『題名のない音楽会』に、ムジカ・アンティクワ・ケルンが登場しなければ、私はノリントンのファンには「なれなかった」のかもしれない。

ベートーヴェン:交響曲全集

ベートーヴェン:交響曲全集